青木務エレキベース教室WEB支部

札幌のエレキベースプレイヤー・講師による、音楽視野を1mmずつ広げられる情報を発信するブログ。

プロ・アマチュアという「言葉」は重要ではない。重要なのは「スタンス」である。

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人が幼いころからその意味を知り、様々な職業の「それ」に触れている存在。

そして音楽を志したり、活動を進めていく中で憧れていく存在。

それはプロフェッショナル!

人は常に様々なプロに触れ、育っていきます。

 

例えば

  • 産まれるその瞬間はプロの医師、看護師の技術に触れている。
  • 学校に入ればプロの教諭、教師に授業を受ける。
  • 音楽、絵画、スポーツ、書道等習い事をするのであれば、それにおけるプロに教わる。
  • バイトを始めたなら、直接プロ達と共に仕事をしていく。

 

様々な職業のプロに触れて育ち、そして自分も職に就くことにより、その職のプロとして仕事を行います。

この例に出てくる方々が常に意識していたり、それについて考えるかどうかは分かりませんが、とにかく何かの仕事を行う=その職業におけるプロですよね。

 

さて、そこで音楽の話です。

こうなると音楽にもプロというものが存在することになります。

一般的な認識としては、音楽を職業にしていたり、音楽だけで生活をしている人のことを指すと思います。

 

そしてプロフェッショナルという言葉の対義語がマチュア

この2つの言葉がミュージシャンにとって苦悩の原因となったり、いらぬ壁を作ることが多々あります。

なので僕はここに提唱したい。

 

プロ、アマチュアという「言葉」は重要ではない!

 

そもそもプロフェッショナル、アマチュアとは?

ここで一旦、プロフェッショナル、アマチュアという言葉の定義を確認しておきましょう。

 

プロフェッショナル(professional)

[1] 〘名〙 あるものごとを生計の手段として行なう人。専門家。本職。プロ。

出典 精選版 日本国語大辞典 

 

マチュア(amateur)

芸術・学問・スポーツなどを、職業ではなく、趣味や余技として行う人。素人。愛好家。アマ。

三省堂大辞林 第三版

 

どうやら前書きにも書いたような条件が定義として辞書にも掲載されているようですね。

 

僕は現在幸運なことに演奏とレッスン、音楽に関わる活動で得られた収入のみで色々やりくりをしているので定義的にはプロフェッショナルでしょうか。

そう自称もしていますし、人もそう扱ってくれている状態です。

 

では反対にアマチュアという言葉はどういう方が当てはまるのでしょう?

 

  • ライブ、レコーディング等音楽活動を行っているが収入が足りないのでバイトもしている。
  • 俗にいうサラリーマンであり収入のほとんどをそれで稼ぎ、その傍らでレッスン業を行っている。
  • 小~大学生で演奏活動を行っている。

 

あくまで上記に記した定義としてはアマチュアに分類にされますよね。

これを見ているあなたの好きなバンドマンやミュージシャン、師事している先生ももしかしたらこの中に分類されるかもしれません。

その上で一つ問います。

 

どちらに属しているかは重要なことでしょうか?

プロ・アマという言葉は重要ではない

まず前提を一つ。

プロとして活動されている方々が、音楽に捧げてきた時間や練習量、その情熱や思考。

そしてそれによって得られた圧倒的な技術や感性、生み出された作品や仕事

その結果及ぼされる他者への影響

これらは決して軽視できるものではありません。むしろ最大級の敬意を払うべきです。

これを前提とした上で話を進めていきます。

人は何を選ぶのか

音楽を始めとした芸術といった分野。

これらに触れているとき、人々は、そしてあなたは何を重視するでしょうか?

 

プロの演奏だから凄い。アマチュアの演奏だからそこそこ。

プロだから観る価値がある。アマチュアだから観る価値はない。

プロのやることはすべて一級品で、アマチュアのやることはすべて半人前。

 

恐らくこんな風に考えている、捉えている人は超超超少数派でしょう。

 

違いますよね。

音楽を聴く、ライブを観る、映画を観る、絵を眺める。

それらは「あなたが素晴らしいと思ったものに捧げられる行為」だと思います。

人が芸術に触れるときに重視することは素晴らしいかどうか。

その主観や感性の前にはプロもアマも無いのです。

 

プロが提供するものにも場合によってはイマイチなものがあり、アマチュアが提供するものの中にも素晴らしいものがあります。

ひたすらに量に溢れた、玉石混合の情報社会の中、何を選ぶかの基準はこれまで以上に人それぞれ。

最早「プロだから、アマだから」で物事を判断する時代は過ぎています。

 

ただ、先述のようにプロの方が有する技術や経験は並大抵の努力では得られることはありません。

そのプロによって生み出される演奏や作品は必ず一定以上の水準は越えており、それを常に維持し続けられるのがプロの技術であると思います。

このことは常に頭に置いておくのがいいかもしれません。

定義は簡単に壊れ得る

プロとアマチュアの定義はどうやら辞書的にはっきりしているようですね。

ただ、そのプロの定義が壊れるパターンも存在するのではないでしょうか?

ここで非現実的な例え話をいくつかしましょう。

 

仮にむちゃくちゃイケメンな人が存在するとしましょう。

その人は歌もギターも本当に下手で、作る曲もめちゃくちゃで聴くに堪えない。どこかの事務所に所属したりはせず、人から作曲や演奏依頼をされることもない。

おおよそ他にプロと呼ばれる人に匹敵する技術力を有していない。

しかしその人には数十万人のファンがおり、ライブをやれば常に満員。

生活のすべてを「音楽ライブ」だけで稼ぎ出す、「音楽」を職にしている状態

さて、こんな人がいたとして、果たして定義の条件のみで音楽のプロと評価できるでしょうか?

 

他にも、生活に必要なお金が月5万の人がいたとして、音楽収入が月100万円あり、生活に必要な分は音楽でまかなえる。その上で他事業で月1億円稼いでいたら?

反対に音楽で月100万円稼ぐが、生活に必要なお金が月10億円必要なので他事業で9億9900万円稼ぐ人がいたら?

もしくは、全世界を感動させる歌声を持ち、毎日世界中でコンサートを行っているが、チャリティーなので収入は1円もない人がいたらそれはアマチュアなのか?

 

非現実的な例え話ばかりで恐縮です。ただ近いパターンはありますよね。

ひとまずここで言いたいのは「収入の大小や活動の在り方でプロだアマチュアだと言葉を当てはめるのは、結局適切ではないし評価の基準にはならない」ということです。

また音楽じゃない分野でも同じような事象があり、それも当てはまると思います。

世の中にはセミプロという言葉もありますが、ひとまずここでは置いておきましょう。

 

定義は簡単に壊れ得ます。

そんな脆い定義を持つ言葉でミュージシャンを縛るべきではないですし、同時に自分自身を縛るべきではないですね。

しかし人は区別したがる

ここまで説きましたが、人はどうしても「プロorアマチュア」を区別したがります。

確かにミュージシャンはあえて自分から「プロです」「アマです」なんて言わないし言う必要もないので、カテゴライズしたがる気持ちも分かります。

君(達)はプロなの? アマなの?」といった類の質問をたまに耳にしますが、その度に「やはりミュージシャンは第一にそこの区別を強いられるな」と感じます。

 

一つ体験談を。

以前ギター、ベース、ドラムのスリーピースのライブがあった際の話。

確かにその場において、定義的にプロとして活動しているのは僕だけだったのですが、そのお店のマスターがお客さんに向かって

 

今日このメンバーでプロなのはベースの青木君だけだから~

 

このような区別はそもそもステージを壊してしまうのです。

その場にいる人たちからしたら「あ、じゃあギター、ドラムの2人はアマチュアなのね」という判断を下されますし、それによってステージや一つ一つのプレイに対して生まれる色眼鏡もあるでしょう。

そしてそんなことを言われた僕らステージの人間は何をどうすればよいのか……。

 

よく「同じステージに経っている以上立場も年齢も関係ない」と言われますがまさにその通りなのです。

結局は良いステージが生み出すことが目的の一つであって、わざわざそんな区別を持ってステージにはあがりません。

その場においてそんな区別は「ただの言葉」に過ぎず、持ち込むべきではないのです。

 

定義としてアマチュアに属している方は、このような「プロ・アマ論争」に巻き込まれ、場合によっては嫌な思いをしている、もしくはこの先するのではないかと思います。

そんな時には腐らず、「ただの言葉」であることを思い出してみてください。

重要なのは言葉ではなく、本人の姿勢である

ここまでで、プロ・アマという定義や区別は存在するけど、それは重要ではないという話をしましたね。

じゃあ何が重要なんだ? 本当に大切なことは何なんだ?

悩んでしまうと思います。

 

本当に大切なことは「責任を持ってその演奏、ステージ、作品をよいものにする」という「本人のスタンス=姿勢です。

ミュージシャンとしての矜持とも言えるでしょう。

そこにはプロもアマもありません。

 

受けた依頼は最後まで責任を持って取り組む。

一つ一つの機会を侮らず全力で取り組む。

「自分は人前で演奏している」という自覚を持った振る舞いを見せる。

 

こうしたシンプルな心意気を持ち続け、怠らないスタンスが大切なのです。

手を抜くことを料理に例えるととんでもないことだと分かる 

音楽は芸術の一部門であるため、どうしても色々なことが見逃されがちです。

どんな分野でもそうですが、やっていないと分からない、見えないものも数多く存在します。

中にはそれにかまけて手を抜いたり、あからさまにやる気がなくても活動を続けられている人もいるでしょう。

でもそれって、手抜き料理を振舞っているシェフと同じなんです。

 

例えばあなたが初めて入るお店で食事をするとして。

出された料理があからさまに不味かったり、汚く装飾されていたら二度は通わないですよね。

もしくは、自分には適当な料理を出してきたのに、隣で食事している政治家やスポーツ選手にはものすごくキレイな料理が出されていたら

やっぱりそのように人によって態度や味を変えるお店には行かないと思います。

 

またあなたが厨房で働くシェフだったとして。

隣で料理を進めるシェフがあからさまにやる気がなく、鼻をほじりながら料理していたら?

または、お客さんに料理を運ぶときもぞんざいな態度でいたら?

雇われた店で一緒に働くことはあっても、自分の店を開くときにその人に声をかけることはないですよね。

調理師免許の有無は関係ないんです。

 

ミュージシャンもそれと同じ。

手を抜いている姿勢は常に見られているし、ひいてはそのような態度で臨む人間を「プロ」とは呼び難いですよね。

重要なのは「プロという肩書や言葉」ではなく「プロとして振る舞い、常に全力で取り組む姿勢」なのです。

そして仮に今はアマチュアと呼ばれている方も、そうした真摯な姿勢を持ち続けることによって、その肩書は自然に姿を変えていくでしょう。

最後に

何故このようなこと考えを声を大にして言えるのか。

それは、僕の周りのミュージシャンが皆そうだからです。

 

活動をしている、続けられており、かつ色々な人に求められているミュージシャンのほとんどの方が、真摯な姿勢で演奏やレッスン、制作に臨んでいます。

手を抜くことはなく、常にその場が最善の状態になるように振舞い、演奏しているように感じます。

偶然ではなく、そういう方が求められ、残り続けるのでしょう。

若手でも、色々な人問と演奏を行い、どんどん次に繋げていけてるミュージシャンは皆こういう人間ですね。

 

いわゆるプロとして扱われる、定義上そういった肩書を得ることが重要なのではなく、どんな立場であろうとプロとしての矜持を持ち、振る舞い、人と接することが重要なのです。

いわゆるプロ、アマという肩書について悩んでいたり、「どうすればプロになれるか?」という答えのない問いに苦しんでいる方は、是非頭に置いてみてください。

結果は後からついてきます。そしていずれその考え方が自分自身の活動の支えになる時が来るでしょう。

 

www.tsutomuaoki-ebs.com

 

 

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