M-1グランプリ2018の審査員コメントを音楽に例えてみる~富澤たけし編~
M-1審査員コメントシリーズラストです。
今回は富澤さんの「人間」という言葉に着目してみます。
先のM-1での富澤さんのコメントの中には3回「人間」という言葉が出てきました。
かまいたちには「人間2人の面白さが出てたから良かった」。ミキには「人間の面白さがあった。頭からトップギアでよかった」と評価し91点、90点を下しています。
反対にジャルジャルには「2人の人間力がもっと出てくるともっと良かった。マシンを見てるような感覚」と評価し、90点。
下した点数に差はないものの、富澤さんは、ネタからその芸人の顔が見えるような独創性、その人間がやるからこそという理由、「人間力」に着目しているのが分かります。
そして同じように、音楽の世界でも、その演奏から人間を感じるミュージシャンはおり、好かれ、評価されるものです。
それはそのミュージシャンが奏でる音色であったり、タイム感、フレージング等様々な要素が組み合わさって聴衆が感じるその人ならではの音、演奏の匂いや雰囲気。「個性」という言葉とも近いと思います。
ライブでもセッションでも、「あ、『この人』を感じるなー」と、具体的でも何となくでも感じるミュージシャンがおり、そういう人はやはりファンがおり、他のミュージシャンからも好かれています。
「じゃあ技術って必要ないの?」と問われるともちろんそうではありません。
個人的には「その人が持つ感性と磨いてきた技術がかみ合った段階」から演奏に人間を感じるのかな、と思っています。
極端な話、技術だけ凄くても何を伝えたいのかが分からないと上っ面だけの感情で話す空々しい人間に見えてしまいますし、伝えたいことがあっても技術が足りないと幼児のお喋りに見えてしまいます。(それはそれで面白いけど笑)
ただ、「自分が人間を出せているか?」を考えすぎる必要はありません。
「人間を出そう! 出そう!」と思っても出すことができないものでもありますし、わざとくさく演出された人間らしさは逆に鼻についてしまうものです。
まずは無心で、自分の好きな、信じるスタイルを追い続けていけば、自然と人間らしさは醸し出てきます。
ミュージシャンを目指している人は「人間力」のことを頭の片隅に置いておくと、視野が少し広がると思います。