M-1グランプリ2018の審査員コメントを音楽に例えてみる~立川志らく編~
年末の風物詩M-1グランプリ。今年は12/2に開催され無事にチャンピオンも決定しました。
僕は当日は観れず、「審査員コメントがキツイ」「空気が重苦しい」というSNSの情報だけ先に得ており、2日経った本日録画でネタ及び審査員コメントも漏れなく聞いてみました。
確かにゴールデンのテレビ、M-1グランプリという場においては、もう少しライトで聴衆もテレビを見ている人も素直に笑えるコメントが適しているのかも、とは思いましたが、特別厳しすぎるとは感じなかったです。
それよりも、審査員各々の一貫した評価基準があり、音楽に例えてみるとかなり得られるものが多いかと。
ということで自分の勉強も兼ねて審査員コメントを一覧でまとめてみました。
まずは以下画像クリックでご覧ください。
出番順に点数と1stステージの最終結果、コメントした審査員の点数を併せて、要点をまとめた上で載せてあります。
さて、このコメントの中でまず見ていきたいのは、やはり今回審査員コメント騒動の中心にあります立川志らくさんのコメントです。
・志らくさんのコメント
僕はすごく面白い審査、コメントの数々だと思います。
まず3番目に出てきたかまいたちに対してですが
「ものすごく上手いし面白い。ただ、上手さを感じすぎてしまった。本当に面白い漫才師は上手さを感じないよね? とにかく面白い、凄いという。それに比べて『上手い』と思ってしまった。さっきの猟奇的なやつ(スーパーマラドーナ)のが発想的には凄いと思った」
どうでしょう? ミュージシャン的には寒気のするコメントなのかなと思います笑
上沼さんは「達者、プロだな!」と漫才の技術を評価し点数は94点。
それに対し志らくさんは、漫才の技術と面白さを評価しつつ、上手いと思わせる技術を先に感じてしまったと。その上で発想が凄いと評価しているスーパーマラドーナと同じ88点という審査。
この時点で、志らくさんの審査は「発想>技術」ということが窺えます。(無論M-1決勝に進んでいる時点で最低限の技術は当然有しているだろうという前提があると思いますが)
このコメント、実は音楽に置き換えたとき、ものすごく重視したいものだと思います。
今回は制限時間4分内の漫才というルールがありますが、これが楽曲だったら? ソロ等演奏中のパフォーマンスだったら? はたまたライブ全体としてみたら?
技術だけ先行して感じてしまうソロ、楽曲、ライブははたして人の心を動かし得るのか……。
他の審査員コメントでも、富澤さんは「人間2人の面白さが出てたから良かった」と、『かまいたちという2人の人間だからこそ出せた面白さ、人間の内面』について評価されています。
無論技術というのは人の感動を呼び起こさせる要素の一つでありますので決して軽視できるものではありません。しかし志らくさんは、それを先に感じさせてしまうものはあまり評価されないスタンスの方のようです。
定期的にテレビで放送されているカラオケグランプリ的なものが分かりやすいです。
明らかにカラオケの採点を伸ばすためだけの歌は、技術が先行しているものと捉えて間違いないでしょう。
そこに人を感動させようという思いは感じ取れず、ただカラオケで高得点を取る目的しか感じられません。そして当然それで人は真に感動しないと思います。
もちろん人間が先にあり、その上で点数が高い人は好きです。
志らくさんのかまいたちに関するコメント及び他審査員コメントを比較してみるとこのように自分たちのパフォーマンスの見直しにも繋がります。
このように音楽以外のことを音楽に例えてみると、気づかされることがたくさんありますね。